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ゴッホの足跡を訪ねる その3。。 en Provence

階段を上がった2階に、ゴッホの病室が再現されていました。






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ゴッホが描いた、病室。
この絵、確かアムステルダムのゴッホ美術館にあったと思うのですが。。


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病室には、ゴッホの自画像も飾られていました。
窓から見える、アルピーユ山脈を描いた絵もありました。


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窓の外には、花壇や畑が見えました。
ゴッホが描いた絵が、あちこちに飾ってあります。

2階には、当時の精神病患者に対する扱いや、器具などが展示されていました。
蓋のついたお風呂とか、器具とか、ちょっと見ていられない感じ。。

こちらの修道院は、第一次大戦中に、アルザス出身者の収容所となったんだそうです。
その関係で、あのシュバイツァー博士もこちらに拘束されていたそうで、写真がありましたよ。
第二次大戦中には、ドイツ軍の兵舎になったそうです。


こちらには、精神科医の目から見た、ゴッホの人生についての展示があります。
今では、芸術家としてゆるぎない評価を得ているゴッホですが、やはり精神科医から見ると、その色彩やタッチには、特徴的な部分が認められるようです。

ショップで、その本も売っていたので、買って来ました。
その本は、フランス語と英語と、なんと!オランダ語版がありました。
ショップの方に、「オランダ人がいっぱい来るんですか?」と聞いたら、「Oui(はい)」って。。

南仏には、太陽を求めてオランダ人がいっぱい来るそうなので、きっとここも訪れるんでしょうね。
     ・・・あ、ちなみに、オランダ人は、キャンピング・カーで全部持って来て、お金を全然落として行かないって、有名だそうです。。(^_^.)

ゴッホのお父さんの家系には、うつ病や自殺者が何人かいるそうです。
ゴッホには、癲癇の症状もあったようです。
彼の兄弟姉妹にもその傾向があり、ゴッホが自殺した後、弟のテオも錯乱状態になり、妻子を殺そうとして、結局病院に入って亡くなっています。。
ゴッホのお母さんは、88歳で亡くなるまでに、7人の子供の内4人を自分の手で葬っているそうです。

ゴッホは、生まれる前の年に亡くなったお兄さんに対する期待を、生まれながらに両親から背負わされ、その結果、両親から冷たく扱われてしまったようです。
幼少時の孤独感と、他人とのミス・コミュニケーションが病気の発端となり、その後発作(自殺未遂や、耳切除事件)を起こした時は、大抵喪失感(失恋、ゴーギャンとの不和、弟の結婚、出産等)が引き金となっているそうです。

サン・レミ・ド・プロヴァンスでの1年間は、修道女や医師の温かい励ましや理解に支えられたことで、創作活動に励むことができたそうですが、その反面、何度も長期的なうつ状態も続いていたそうです。


アムステルダムのゴッホ美術館に、彼の初期の作品「馬鈴薯を食べる人々」という絵があります。

Gogh
(画像は、美術館HPよりお借りしました。)

貧しい農家の人々が、暗いランプの下で、じゃがいもの夕食を取る風景を描いた物です。

これを観た時、そのあまりに暗い色彩に、言葉を失ってしまいました。
この絵の批評はかなり悪く、ゴッホは落胆したそうです。

同じオランダの画家、フェルメールの絵からは、オランダの夏の光を感じます。
それとは対照的に、ゴッホの絵からは、あの冬の暗い寒さが思い出されます。
これは、オランダで暮らさないとわからない、肌温度とでも言いましょうか。。


そのゴッホが、パリから南仏へ移るに従って、どんどん色彩に溢れて行くのに驚きます。
今回、南仏の太陽は見られませんでしたが、きっと、全て黄色に溢れるぐらい、強い光なのでしょうね。
サン・レミ時代の絵を観ると、季節の移り変わる色や、様々な緑の色が印象的です。
発作に苦しみながらも、南仏の自然を描かずにはいられなかった、彼の気持ちを感じました。。

精神医学的には、アルルやサン・レミでの画風の変化は、性格面において精神的なバランスの変化があったと見るそうです。
かなりの性的な興奮状態にあったとされ、「糸杉」や「ひまわり」をたくさん描いていることも、その理由のひとつなんだとか。。
あの、渦のような星空や、うねるような糸杉も、やはり、彼の興奮し混乱した内面を表しているのでしょうか。。

そういえば、バブル期に、彼の「ひまわり」を、日本の損保会社が高額で落札したことがありましたね。。
常に弟テオの援助を受けていて、それが自殺の引き金であったことを思うと、なんだか皮肉に思えます。。


ゴッホの足跡を訪ねて、とても切ない気持ちになりました。
何かひとつ、ボタンの掛け違いがなかったら、彼の人生はこれほど寂しくなかったのではないかと思えてなりません。
ピストル自殺をした彼は、駆けつけた弟テオに

     泣かないで。誰にとっても良いことをしたんだよ。。

と、最後にオランダ語で言ったそうです。

弟テオとゴッホは、「社会的な面での自我とクリエイティブな面での自我を、二人で分かち合った兄弟である」という意見もあるそうです。
ゴッホの死後に、テオが錯乱して亡くなってしまった事実を思うと、二人は、二人でひとつの人格だったのかもしれません。。
二人は今、フランスのオーヴェル・シュル・オワーズの墓地に、並んで眠っています。


私は、ずっとゴッホの絵は怖かったのですが、今回の旅で、少し彼を理解できたように思いました。
ゴッホ美術館へ、また足を運んでみたくなりました。。
クレーラ―・ミューラー美術館にも行かなくては!




サン・レミ・ド・プロヴァンスには、もう一人有名な人物がいます。

     ミッシェル・ド・ノストルダム(Michel de Nostredame)

あの1999年の終末論を唱えた、天文学者ノストラダムスが生まれた街なんですって!

晩年を過ごしたサロン・ド・プロヴァンスという街の方が、彼の博物館もあって有名なようですが、サン・レミ・ド・プロヴァンスには、彼の生家があります。

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ひっそりと、小道の奥にあるお家でした。
公開はされていないそうです。

このお家の前で、神妙な顔つきでたたずむ旦那様。。 (@_@。「どうしたの?」

       ・・・いや、迷惑な預言をしたもんだと思ってさ。。

・・・ホントにね。。(^_^.)



・・・つづく・・・


               pome4
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